公開日:2026年9月28日|執筆:吉敷(成績UPラボ代表・塾長)
参勤交代を歩く親子旅5選|江戸前期の街道・城下町・貨幣経済を学ぶ

参勤交代は、大名を疲れさせるだけの制度ではありません。大名と家臣が全国の街道を移動したことで、宿・食事・荷物運び・土産物にお金が使われ、宿場町と城下町が結ばれ、貨幣経済が全国へ浸透しました。
その大量の決済を支えたのが、幕府の管理した金貨・銀貨・銭貨です。金銀銅の材料を確保するために鉱山開発も進みました。日本橋、箱根、奈良井宿、金沢、佐渡を順に歩くと、「政治制度→人の移動→町の消費→お金→鉱山」という江戸前期の大きな流れが見えてきます。
大名行列が通ると、道の上に市場ができる
江戸幕府は、将軍が全国を一人で直接治めた国ではありません。将軍のいる幕府と、各地を治める大名の藩が組み合わさる幕藩体制でした。大名は領国の城下町を治めながら、江戸にも屋敷を持ち、原則として領国と江戸を往復しました。
国土交通省によると、参勤交代の行列は一般的な藩でも150〜300人ほど、大藩では数千人規模になることがありました。これほどの人数が動けば、泊まる、食べる、馬を替える、荷物を運ぶ、道具を直すという需要が発生します。街道と宿場は、政治のための道であると同時に、大きな消費を運ぶ経済インフラになりました。
街道
江戸の日本橋を起点に五街道が整備されました。人だけでなく、手紙、産物、文化、食べ物が移動します。
宿場町
宿、馬、人足、問屋場、茶屋が必要になります。旅人が増えるほど、道沿いに仕事が生まれます。
城下町
城の周りに武士・職人・商人が集まり、食料や道具を買う巨大な消費地になります。
貨幣
年貢の中心は米でも、旅費や商品売買には小判・銀・銭が必要です。米も市場で売られ、お金へ姿を変えました。
金・銀・銅は、幕府を動かす「共通ルール」になった
戦国時代には各地で違うお金が使われ、外国から来た銭も流通していました。徳川家康は金銀山を支配し、1601年に規格をそろえた慶長金銀を発行しました。1636年には寛永通宝の鋳造が始まり、金貨・銀貨・銭貨を並行して使う三貨制度が整います。
| お金 | 使い方 | 主に広がった地域・場面 | 小学生向けのたとえ |
|---|---|---|---|
| 金貨 | 1両、1分、1朱のように枚数で数える | 東日本を中心に高額の支払い | 値段が書かれたコイン |
| 銀貨 | 重さを量って価値を決める | 西日本や大商人の取引 | 必要な量だけ切り分ける金属 |
| 銭貨 | 1枚1文として数える | 日常の買い物、全国 | 小銭 |
日本銀行の貨幣博物館は、この状態を「一つの国の中で円・ドル・ユーロが同時に使われるようなもの」と説明しています。三つのお金を両替する仕事が必要になり、商人の情報力も重要になりました。
なぜ鉱山開発が進んだのか
街道と城下町が広がり、商品取引が増えるほど、信用される貨幣が必要になります。貨幣の材料は紙ではなく金属です。そのため幕府や有力大名にとって、金山・銀山・銅山は「山の中の財源」でした。幕府財政には直轄領の年貢だけでなく、鉱山、都市、長崎貿易、貨幣改鋳などの収入もありました。
| 鉱山 | 金属 | 江戸社会とのつながり | 旅で見る問い |
|---|---|---|---|
| 佐渡金銀山 | 金・銀 | 幕府直轄地となり、相川に鉱山都市が形成された | 山を割るほど掘った金は、どこへ運ばれた? |
| 石見銀山 | 銀 | 戦国期から重要で、徳川政権も支配した | 銀はなぜ海外交易でも力を持った? |
| 別子銅山・足尾銅山 | 銅 | 銭の原料や輸出品として需要が増えた | 庶民が毎日使う小銭は何枚必要だった? |
参勤交代を半分にしたら、幕府はなぜ不安になる?
東京大学の1998年度日本史第3問は、1722年の上米制を材料に、幕府が大名から米を集める代わりに江戸在府期間を半分にした背景と、参勤交代の緩和が幕府と大名の関係をなぜ変え得るのかを問いました。
- 大名が江戸へ来るのは、旅行ではなく将軍への服従を目に見える形で示す行為だった。
- 江戸屋敷と国元の二重生活には大きな費用がかかり、大名の軍事・財政力を使わせる働きもあった。
- 江戸に大名と家臣が集まることで、幕府は情報を集め、人間関係を作り、監視しやすかった。
つまり参勤交代は、単なる交通制度ではなく、幕藩体制を日常的に動かす仕組みでした。制度を緩めることは、将軍と大名の距離を広げる可能性があったのです。
東大問題の面白さ:用語を答えるのではなく、「制度を一つ変えると政治・財政・都市経済の何が連動して変わるか」を考えさせます。小学生にも、「もし大名が江戸へ来なくなったら、宿場・商人・江戸屋敷で働く人はどうなる?」と広げられます。
参勤交代と貨幣経済を歩く親子旅5選
| 地域 | 現地で見るもの | 歴史の核心 | 向いている家庭 |
|---|---|---|---|
| 日本橋 | 道路元標・貨幣博物館 | 五街道の起点+三貨制度 | 最初に全体像をつかみたい |
| 箱根 | 関所・旧街道・石畳 | 人の移動を幕府が管理 | 乗り物と温泉も楽しみたい |
| 奈良井宿 | 町家・宿・曲物・街道 | 旅人の消費が町を育てる | 江戸の町並みを歩きたい |
| 金沢 | 城・武家地・商人町 | 大藩の城下町と参勤交代 | 工芸・食文化も楽しみたい |
| 佐渡 | 坑道・割戸・奉行所跡 | 貨幣を支えた金銀山 | 鉱山・地下探検が好き |
東京・日本橋|道の始点で「人とお金の流れ」を重ねる

日本橋は五街道の起点です。橋の道路元標を見た後、徒歩圏の貨幣博物館で大判・小判・寛永通宝を見ます。「道」と「お金」を同じ日に見ると、貨幣は博物館の箱の中にあったのではなく、人と商品と一緒に全国を移動したと理解できます。
日本橋の麒麟像をよく見ると、伝説上の麒麟には本来ない「羽のような背びれ」があります。日本の道路の起点から未来へ飛び立つイメージで造形されたものです。北詰東側の「乙姫の広場」には日本橋魚河岸跡があり、徳川家へ納めた魚の残りを舟板に並べて売ったことが魚市場の始まりと伝えられます。橋の近くで、街道・水運・市場が一度につながります。
さらに三越前駅の地下コンコースにある絵巻「熈代勝覧」には、江戸後期の日本橋通りを歩く人が1,671人も描かれています。武士だけでなく、商人、子ども、芸人まで探すと、「江戸を動かした主役は誰だったのか」をゲームのように考えられます。
- 橋の麒麟に「羽のような部分」が何枚あるか、四方から観察する。
- 道路元標から、家まで戻る道を地図でたどる。
- 魚河岸跡と貨幣博物館を結び、「魚が銭へ変わるまで」を3コマで描く。
親子で予想:「全国の道がここから始まるなら、全国のお金や荷物も、どんな店に集まりそう?」
三井ガーデンホテル日本橋プレミア

親が休みやすい理由:三越前駅・新日本橋駅から移動しやすく、大浴場もあります。日本橋と貨幣博物館を歩いたあと、早めに部屋へ戻りやすい立地です。子どもの添い寝・朝食条件は予約画面で確認してください。
PR・広告おすすめランチ:茶屋 日乃丸の天丼

米、魚、野菜、油、しょうゆが江戸という巨大都市へどこから来たかを考えられます。味だけでなく、「100万人規模の町に毎日食材を運ぶには、道と水運のどちらが向く?」と物流へ話を広げてください。
メニュー・営業情報を確認する箱根|関所は「旅を止める門」ではなく情報装置だった

東海道の難所・箱根では、石畳を歩き、関所の建物を見ます。関所は旅人を無差別に止めるだけの施設ではなく、幕府が人の移動、武器、通行手形を確認する装置でした。街道を整備して人を動かしやすくする一方、要所では監視する。この二面性が幕府の支配です。
長崎から江戸の将軍へ向かった象も箱根関所を越えています。箱根山で体調を崩し、まんじゅうやミカンを与えられて回復したという話が公式キッズページに残ります。「人を調べる施設」に巨大な象が現れたら、役人や旅人はどうしただろう、と想像するだけで関所が急に生きた場所になります。
遠見番所までは69段。芦ノ湖を見張った足軽の視線を体験できます。門が開くのは日の出から日の入りまでで、役人の多くは小田原藩から1か月交替の単身赴任。茶わんや米を持参して寝泊まりしました。建物の台所や湯船のない湯殿を見ると、関所は「門」ではなく、24時間動く小さな職場だったとわかります。
- 遠見番所の69段を数え、上から「見張る側」になって死角を探す。
- 江戸口御門で、もし日没に1分遅れたらどうするか作戦を考える。
- 象を江戸まで運ぶなら、食料・宿・坂道対策に何が要るか3つ決める。
親子で予想:「幕府は道を便利にしたのに、どうして途中に関所を置いた?」
箱根小涌園 天悠

親が休みやすい理由:全室に温泉露天風呂があり、旧街道や関所を歩いた後に部屋で休めます。歴史に興味が薄い家族も温泉・美術館を組み合わせやすい宿です。
PR・広告おすすめランチ:田むら銀かつ亭の豆腐かつ煮

箱根の水、豆腐、みその食文化へ話を広げられます。人気店のため、待ち時間が長い日は学びを詰め込まず、時間をずらす選択も大切です。
メニュー・混雑情報を確認する奈良井宿|旅人が落としたお金は、山の町をどう変えた?

奈良井宿は中山道の宿場です。山道を越える前後に旅人が休み、宿、食事、木工品、荷運びにお金を使いました。山がちな土地でも、街道上の位置がよければ人とお金を呼び込めます。地形は不利な条件であると同時に、休憩需要を生む条件にもなりました。
奈良井宿は約1km続く長い宿場ですが、道は一直線ではありません。「鍵の手」と呼ばれるクランクや、下町の桝形が視線と進路を折り、敵が一気に進みにくい構造になっています。曲がり角に立ち、向こう側が本当に見えないか確かめると、地図記号では伝わらない防御の工夫がわかります。
町には6つの水場があり、旅人の飲み水、地元の生活用水、火災時の防火水を兼ねました。家の軒では、庇を押さえる桟木の先にある奈良井特有の「猿頭」も探せます。北側の杉並木の先にある二百地蔵には、鉄道や国道の開設で居場所を失った石仏も集められました。宿場は江戸の姿を凍結した展示物ではなく、交通の変化を受けながら住民が守ってきた生活の町です。
- 6つの水場のうち何か所見つけられるか、地図に印を付ける。
- 「鍵の手」の手前と奥で写真を撮り、見える範囲の違いを比べる。
- 格子・袖うだつ・猿頭・出梁造りを一つずつ探し、家の役割を予想する。
親子で予想:「山の中なのに、どうしてこんなに家と店が長く並んだ?」
BYAKU Narai

親が休みやすい理由:奈良井宿の歴史的建造物を生かした全16室の宿です。町を見学して宿へ帰るのではなく、町家の梁・土間・屋号の中に泊まることで、夜まで江戸の生活空間を感じられます。価格帯は高めで定員の少ない客室もあるため、子どもの受入条件を確認してください。
PR・広告おすすめランチ:奈良井宿の五平餅

米をつぶして串に付け、みそ・ごま・くるみなどのたれを塗って焼く携帯食です。「大名行列の食事」ではありませんが、山の街道で米を持ち歩きやすくする工夫として味わえます。食べ歩きは店の案内と町のマナーに従ってください。
塩尻市観光協会で奈良井宿を調べる金沢|大藩の城下町は「消費する町」でもあった

加賀藩前田家は大きな石高を持つ有力大名でした。金沢では城だけでなく、武家屋敷跡、商人町、職人の工芸を一緒に見ます。城下町は政治拠点であると同時に、多数の武士とその家族が食料・衣服・道具を買う消費都市でした。
金沢城では、ほぼ自然の石を積む方法、少し加工して積む方法、切った石を隙間なく積む方法を同じ城内で比べられます。石川門は左右で積み方が違い、玉泉院丸では赤と青の戸室石がモザイクのように見えます。本丸方面には、火災で屋根の鉛が溶けて石垣へ白く付着した跡まで残ります。「一番古そうな石垣はどれ?」と先に予想させると、城が巨大な観察教材になります。
もう一つの主役は水です。1631年の大火後に造られた辰巳用水は、地形、トンネル、逆サイホンの仕組みを使って城へ水を送り、今も兼六園の曲水へつながります。無料の金沢市足軽資料館では、豪華な大名屋敷ではなく、足軽家族の箱膳や石置き屋根を見られます。「百万石=殿様の豪華さ」だけでなく、城下を維持した技術者・足軽・職人へ視線を移せる場所です。
- 石川門で左右の石の形と隙間を比べ、どちらが新しそうか予想する。
- 石垣に残る刻印や、火災で溶けた鉛の白い跡を探す。
- 辰巳用水の水が「消火・庭園・城下の生活」のどこへ使われたか矢印で描く。
親子で予想:「お城の周りに、武士の家だけでなく職人と商人が必要なのはなぜ?」
金沢 彩の庭ホテル

親が休みやすい理由:32㎡以上の客室、大浴場、金沢駅との無料送迎があり、城下町を歩いた後に休みやすい宿です。館内の工芸品も、城下町で職人文化が育った話へ戻す材料になります。
PR・広告おすすめランチ:治部煮を含む加賀料理

武家の料理、城下町の器、遠くから運ばれた材料を一つの膳で見られます。子どもには「豪華だから」で終わらず、「誰がこの料理を作り、誰が器を買った?」と町の仕事へつなげます。
金沢市観光協会で加賀料理を調べる佐渡|山を割って掘った金銀が、幕府の貨幣へつながる
佐渡は関ヶ原の戦い後に幕府直轄地となり、鉱山開発が進められました。相川には奉行所と計画的な町が置かれ、大規模な鉱山都市が生まれます。坑道だけでなく、鉱石を砕く、金銀を分ける、運ぶ、働く人へ食料を供給する町全体を見てください。
京町通り周辺では、鉱石をすりつぶした石臼が生垣の一部として再利用されています。時鐘の鐘楼の足元には、金を取り出す工程で使った「叩き石」も残ります。道具が博物館だけでなく、今の町の塀や足元へ溶け込んでいるため、知らずに歩くと見逃してしまう痕跡です。
相川には赤茶色の無名異の土で作られた町名の標柱が25個あります。味噌屋町、米屋町、八百屋町、大工町などの名は、初代佐渡奉行・大久保長安が職業別に町を割り当てた名残です。標柱の裏には判子になる部分があり、町名を集めるスタンプラリーのように楽しめます。また相川の時鐘は、現在も人の手で朝夕に撞かれています。音が届く範囲を想像すると、時計がない鉱山都市をどう同じ時刻で動かしたかが見えてきます。
- 職業が名前になった町を3つ見つけ、鉱山に必要だった理由を考える。
- 生垣に再利用された石臼か、鐘楼下の叩き石を探す。
- 「掘る→砕く→選ぶ→精錬する→運ぶ→小判になる」を写真6枚で再現する。
京町通りは坂や階段が多いため、低学年連れは無理に全行程を歩かず、きらりうむ佐渡で見どころを絞るか、予約制の佐渡相川ふれあいガイドを利用すると理解しやすくなります。
親子で予想:「金山で金を見つけても、すぐ小判にはならない。何人のどんな仕事が必要?」
HOTEL OOSADO

親が休みやすい理由:相川地区の海を望む客室と温泉があり、坑道見学後に景色を変えて休めます。佐渡は移動時間が長くなりやすいため、学び先を詰め込まず、金山と相川の町に絞る滞在に向きます。
PR・広告おすすめランチ:佐渡の海鮮丼

鉱山都市には、鉱夫だけでなく食料を作る農村、魚を届ける漁村、道具を作る職人が必要でした。海鮮丼を食べながら、「山の金山を動かした人は、海の食料にも支えられていた」と島内の分業へ広げられます。
さど観光ナビで食事・営業情報を見る帰宅後は「大名の1日分の旅費」を自由研究にする
史料の数字を厳密に再現するのではなく、架空の30人の小さな一行を設定し、宿泊・食事・馬・荷運び・土産の費用を仮定します。「どの町の誰の収入になるか」まで矢印で結ぶと、貨幣経済の意味が見えます。
① 人数を決める
大名、武士、荷物を運ぶ人など30人と仮定。
② 必要な物を出す
食事、布団、馬、わらじ、修理、土産。
③ お金の行き先
宿屋、農家、馬方、職人、商人へ線を引く。
④ 幕府の目的へ戻す
大名の負担と街道経済が同時に生まれるとまとめる。
よくある質問
参勤交代は大名を貧しくするためだけの制度ですか?
大名の財政負担を大きくする面はありましたが、それだけではありません。将軍への服従を示させ、江戸に大名と家臣を集め、幕府が情報を得やすくする政治的な仕組みでした。同時に街道・宿場・江戸の消費も生みました。
小学生には三貨制度が難しすぎませんか?
金・銀・銅の単位を暗記するより、「同じ国で3種類のお金を両替していた」と捉え、貨幣博物館で実物を見ると入りやすくなります。
江戸前期と中期を混ぜてよいですか?
記事の中心は幕藩体制と三貨制度が整う江戸前期です。東大過去問の上米制は1722年で中期にあたるため、前期に作られた参勤交代が、後に幕府財政とどう衝突したかを見る発展問題として分けています。
5地域すべてへ行く必要はありますか?
必要ありません。初めてなら日本橋+貨幣博物館、家族旅行なら箱根、町並みなら奈良井宿、城下町文化なら金沢、鉱山まで深めるなら佐渡の一つを選べば十分です。
出典・確認日
- 国土交通省「経済成長とインフラ整備の歴史」
- 福井市立郷土歴史博物館「参勤交代」
- 日本銀行金融研究所貨幣博物館「日本貨幣史」
- 貨幣博物館「お金の豆知識 江戸時代の貨幣制度」
- 貨幣博物館「常設展示」
- 国税庁税務大学校「幕藩体制と租税」
- 佐渡市「佐渡金銀山保存管理計画書」
- 東京大学1998年度日本史第3問(過去問アーカイブ。本文では要旨のみ利用)
- 箱根関所 公式サイト
- 塩尻市観光協会「奈良井宿」
- 金沢市観光協会
- 新潟県観光協会「佐渡金銀山を巡る旅」
- 中央区観光協会「日本橋魚河岸跡」
- まち日本橋「NIHONBASHI PUBLIC ART HANDBOOK」
- 箱根関所「キッズページ 箱根関所で江戸時代体験」
- 奈良井宿観光協会「見所と建築様式」
- 長野県公式観光サイト「中山道 奈良井宿を巡ろう」
- 金沢市観光協会・地元ライター「石垣の博物館 金沢城のおすすめ石垣10選」
- 金沢市「辰巳用水」
- 金沢市観光協会「金沢市足軽資料館」
- さど観光ナビ「マニアックさんのための相川京町・佐渡奉行所周辺散策コース」
- 佐渡観光交流機構「佐渡相川ふれあいガイド」
歴史・施設・宿泊情報は2026年9月28日に確認しました。開館、体験、交通、料金、子ども条件は変更される場合があるため、旅行前に必ず公式ページと予約先で最新情報をご確認ください。



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